今から30年前、父は免許取得の目的で
指圧学校に入った。
手技治療はすばらしい治療法で、
指圧はとくにすぐれている。
全身にくまなく触れ、深部にも進する。
浪越校長は、「押せば命の泉湧く」といったが、
これは治療の極意だといえる。
経絡とか経穴などという形にとらわれないで、
誠心をうちこんでやれば、命の息吹が感じられる。
患者さんの苦しみ、それが楽になっていく
状態が手に取るようにわかってくる。
この積み重ねが、骨盤調整法、
仙腸関節の発見に進展していった。
当時の父は、夜も昼もない、
夜中でも電話がかかれば診にいった。
過労が重なり、自身が激烈な腰痛になった。
私らも一生懸命になって治療したが、
いくら治療してもそばから
過労しているから効果はでない。
それでも患者さんが来ると治療をしている。
なんともかんとも言いようのない凄さだ。
「どんなにひどい腰痛でも、
腰痛では命はなくならない」と、
歯をくいしばってやっていた。
プロの根性、そんな姿を見た。
そのたゆまざる連続、それが骨盤調整法を
着々と完成させていったのだと思う。
毎月2~3回専門家への講習会があるが、
治療技法がどんどん変わっていく。
患者さんに対しても治療法が変わっていく。
こうして得た治療法が講習会で生きてきてるようだ。
普通では、2年3年夢中でやる人はいるが、
80歳過ぎたころには治療法が変わっていき、
単純化し、途切になっていく。
これは驚異としか言いようがない。
どんな病気も適切な治療をすれば治るのだ、
という信念を待っていたようだ。
それが10年ほどして、
病気は患者自身が治すものだ
という考えに変わってきた。
どんなに良い治療をしても、
患者に「治す力」がなければ(老齢とか死病)
治らないのだと知った。
あらゆる病気は、本人の待つ自然良能が治すので、
医、薬、治療は、助手の役目しかできない。
治療は、人の命と対決する仕事なのできびしい、
いつでも追及していなければならない。
自然良能があらゆる病気を治すのだとわかれば、
難症者が治っても当たり前。
どんなに努力しても、
「治らなかった」というのも当たり前である。
つまり、治療をしていて迷いがなくなるわけだ。
治療法には、それぞれ限界がある。
未熟な治療師で治らない病気でも、
高度な技術を待った治療師なら治せる。
より高い技術を修得すれば、
それだけ多くの病人の苦しみを助けることができる。
「技術」は死ぬまで勉強だといわれている。
口では言うが、なかなか実行できないものだ。
まさに言うは易く、行うは難しである。
われわれ弟子たちもうかうかしていられないと思う。
最後にあらゆる病気を治すのは、自然良能(自然治癒力)だ。
その力を発揮させるのが治療法です。
月刊自然良能より