(3) 長い間苦しんできた股関節変形症

股関節変形症に悩んでいたKさんが、
初めて私の治療所に顔を出しだのは51歳の時です。

Kさんの症状と、私たちが信奉している
骨盤調整についての考え方、姿勢などにふれ、

つらさ、苦しさに悩みながらあれこれ模索して、
ようやく骨盤調整にたどり着いたその日が、
まさにKさんの「希望への出発」になったのは
間違いのないところです。

こうした股関節に関わる症状だけは、
治療当初はなかなか「変化」が出ないもので、
そのことについては前回で述べましたが、
Kさんは初回の施術で効果をはっきり身体で感じました。

Kさんにとってはラッキーだったといえましょう。

よろこんKさんが、骨盤調整を信頼し、
熱心に治療に打ち込むようになったことは、
私にとってもラッキーだったのです。

初診後は、しはらくは週3回のペースで
通ってましもらいました。

最初の10回ほどは、治療にあわせて
股関節部と大腿部そのものをガードし、
動きを楽にしてくれる大腿部専用バンドを
両肢につけてもらいました。

「これは運動する筋肉の補助をする役割のものです。
装着しますと足が軽く動かせます」
といい、励行してもらいました。

こうして施術とバラコン運動を併用してつづけているうちに、
夜もぐっすり眠れるようになり、

治療前には歩くのも苦痛でままならなかったのが、
少し長く歩けるようになり、
践行での身体の揺れも心なしか
小さくなっているように思えたといいます。

そうした経緯は、Kさんがご白身で書かれた
手記があるので、それを紹介します。

■ 長い闘病生活を克服したよろこびを

私が自然良能会へ通うようになったのは、
そのとき私は、51歳でした。

自然良能会には知り合いの人に勧められて来たのでしたが、
縁という言葉を、いま、改めてしみじみと噛みしめています。

そのころの私は、股関節変形症の痛みで
歩くのもままならない状態であり、
困り果てていました。

「病院へいっても駄目なのよ。
先生からも、この症状は治らないかもしれない、
といわれているの」

と友人に話したとき、良い治療所があるよといい、
自然良能会を紹介してくださったのでした。

さっそくお訪ねすると、先生は初診の際、
「100回くらいは通ってください」といわれたのです。

毎日通っても3ヵ月以上かかりますが、
股関節の症状はそれくらいしなければ反応がでないもので、
やっかいな症状といわれているのはそれゆえだといい、

先生は私に
「本当に治そうと思うのならば、あなた白身の根気と努力、
前向きな姿勢で治療に取り組む気持ちが大切です」

と、けっして能弁ではないのですが、
本当に誠実な思いがひしひしと伝わる口調で説明されたのでした。

そうして、週3回の通いが始まったのですが、
先生はいつ見ても、
「常に患者の立場に立って、
患者の気持ちを思ってくださっている」

そんな温かい思いが感じられました。
どの患者さんに対しても同じでした。
私の初めての印象は間違っていませんでした。

しかも初診のときから治療の効果が感じられ、
10数回つづけたころに、先生から、

「思ったよりも経過がいいですから、
通常の股関節の症状の人よりは早く治りそうです」

と励まされ、先生に指導されたようにバラコンバンド運動も
熱心につづけました。

しかし、パートの仕事をしていた関わりもあって、
いつごろからか治療所通いは週1回になっていました。

先生は「週1では・・・」
この症状の治療ではちょっととご不満のようでしたが、
バンド運動だけはきちんとつづけてくださいと
念をおされました。

そうして何年か過ぎたとき、
大変な思いをするはめになってしまったのです。

嫁にいっていた娘が、2度目のお産をしたのです。
ところが双子であって、
私は2歳になる上の孫を預かることになり、
毎日その子を連れて入院している娘のところに通いました。

病院のあるところは、かなりの坂道があって、
そこを毎日上り下りしていた疲労からきたのでしょう。
2ヶ月経った頃にまた症状がぶり返してしまったのです。

そのころには、先生の治療のおかげで
歩くのもだいぶ楽になっていたのですが、

それだけに自分勝手な都合で、
治療に行ったり行かなかったりとおろそかにしていたのでした。

まさか、こんな大変な思いをするとは夢にも
思わなかったことですが、

気づいたときには身体がボロボロになっていて、
トイレに行くのも壁を伝っていかなければ歩けない
状態になっていました。

夜も痛みで眠れずにうとうとするだけで、
何度も目覚めては苦しげに寝返りをうつのですが、
思うようにならず、このままいったら

車椅子の世話になるのでは・・・と、
ぞうっとするほどの恐ろしさに慄えたものです。

そんな私を見かねた主人が、
一度、大学病院で診てもらったほうがいいのでは、
と言葉に出す始末でした。

しかし、大学病院へ行って診てもらったところで、
いわれることはわかっていましたので、
再度骨盤調整に賭けてみたいといい、主人も納得してもらい、
そこから2度目の治療が始まったのでした。

その年の12月から翌年の11月までは、
毎日治療に通いました。

その結果、3月ころには家事が少しずつできるようになりました。
ただ掃除機をかけるのはまだ負担がかかり、
思うようにはいきませんでした。

「今日は調子がいいな・・・」

そう思っていると、またガクンと突き落とされてしまう。
そうしたことの繰り返しを何度も体験しました。

そのつど先生の「あきらめない努力が大切です」
との言葉を思い出し、また自然良能誌に載っている
私と似た人たちの体験記を何度も読み返して、
私も頑張らねばと、自分白身を奮い立たせていたのです。

まさに自分との戦いだったのでした。
骨盤調整を信じ、この治療をつづければ
かならず良くなると思い込んで頑張りました。

ふと気づくと5分くらいのところへ行くのも大変だったのが、
その何倍も歩けるようになっていて、
自転車をこげるようになり、
家事をこなすのも以前ほど苦痛ではなくなりました。

6月の中ごろには、主人と一緒に出かけることもでき、
治療をつづけるたびに身体が楽になっていくのがはっきりわかり、
一段と励みになりました。

そして8月に入ると自分で車を運転して、
自分で歩いて自然を楽しめたことを、本当にうれしく思いました。

こうしたことができるようになったのは、
なによりも家の近くに自然良能会の治療所があったこと。

常に患者の立場を思い、
少しでも早く良くしてあげたいと懸命に治療をし、
またゴムバンドの巻き方もそのつど教えてくださった、
そうした先生の思いやり、努力があったればこそと
感謝しております。