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長崎市筑後町3-22-803

(1) 脊柱管狭窄症 右足のシビレで歩行困難

病院やその他の治療でどうしても治らなかった・・・

骨盤抜きの治療では治らない

脊柱管狭窄症・・・ここ数年あまりによく聞く病名のひとつです。

司会者であるみのもんた氏が罹った症例であり、
手術をしたことで、「私も手術したらよくなるかも・・・?」
と考えている方が多くなっているようです。

しかし、もう一度よく考え直してください。
本当の原因がどこにあるのかを!

声を大にして言います。
本当の原因は骨盤にある・・・と。

左右一対の仙腸関節が狂うと、脊椎(背骨)を変形させて、
腰椎間を圧迫させます。

人間の身体は生理的に、狂わした仙腸関節の反対側に
体重を掛けだします。

それが腰椎間に負担を掛け、狭窄をおこすのです。

こうなると自分が正しいと思っている姿勢が
おかしくなってきている。

なにも特別なことをしていなくても、
日常生活のなかでどんどん悪くしてきているのです。

手術は、その狭まって圧迫されている個所を広げ、
神経に触っている骨を削り、
圧迫を取ることを基本にしています。

しかし、日常の生活仁戻れば、
依然として骨盤は狂ったままなのですから、
また同じ姿勢を繰り返すことになります。

つまり、手術をしても根本の骨盤が狂っていれば、
再度発症と言うことになるのです。

今回紹介させていただくTさんも、
手術するか否かで迷った人のひとりです。

Tさんは、若いころは林業に携わり、
大木をひとりで担いだり、随分と身体を酷使してきたそうです。

そのころから身体の異常には気づいていたそうですが、
若いから痛くても黙って働くのが当たり前のことと思い、
我慢して働きつづけてきたそうです。

その後、事務職を30年ほどしたのですが、
冷房の強くきいた部屋でずっと座りぱなしたったそうです。

12月中旬に、軽いギックリ腰と同時に右足のシビレを感じ、
カイロにいったが症状は改善されませんでした。

整形外科で脊柱間狭窄症といわれ、
牽引、SSP、ブロック注射等をするも
いっこうによくなりません。

翌年年3月下旬に、
知人の紹介で自然良能会を訪れたのです。

その時のTさんの状態は、身体は硬直して捻じ曲がり、
仰向けでは寝られないほどでした。

「このままでは病名がどうのこうのより、
一生寝たきりの生活になりますよ」

そして、驚いた表情のTさんに、
重ねて「100回は毎日つづけて来てください」
と念を押したのでした。

100回もつづけて、と言われるとひいてしまう人もいますが、
そういう数字を上げるには理由があります。

人間の細胞が、古い体質から新しい細胞に全て変わるまでに
約3~4ケ月かかります。

つまり、今までの悪い姿勢から正しい姿勢に変わるのに
100回という回数がかかるのです。

その間にはいろいろな反動も起こります。

捻じれ曲がった身体が真っすぐになっていくわけですから、
今までなかった痛みもでます。

その途中で怖くなってこれなくなる方も多数いるようですが、
これは「好転反動」で、曲がった身体を変えていくわけですから、
今まで使ったことのない筋肉を使いだすためにでるもので、
いわば「筋肉痛」のようなものです。

その状態を抜け出さなければ身体は治りません。

そのためには、体質が変わってくる100回ほどの
治療が必要なのです。

Tさんも最初は不安が強く、
100回もつづけられるか悩んだそうです。

しかし覚悟を決めて頑張りました。

■ 健康保持は努力なくしては得られないことを痛感

12月25日の朝のことでした。
いつものように洗面所でヒゲ剃りをしようとしたとき、
ぎっくり腰になったのです。

その瞬間に「しまった」と思うなかで、
いつもと違い右足にシビレを同時に起きたことが
不思議に感じました。

これまでもギックリ腰をやっていますが、
その都度行っている治療院で治療を受けた時にも、

「いつもよりひどくない」と
言われたことも気になりました。

今回、こうなる約半年ほど前に、
妻がテレビで腰痛についての放送があるからと言われ、
その放送をみていろいろなことを知りました。

椎間板ヘルニアの名称は知っていましたが、
すべり症や脊椎管狭窄症は、この時はじめて知りました。

講師の医師は、どの場合も手術で簡単に治りますという
説明であったが、それぞれについての症状説明が少なく、

なんとなく聞いていたもので、ただ骨を削る治療はいやだな、
との思いだけは強く残りました。

今回のギックリ腰は、右足のシビレがなくならない
状態が気になり、初めて整形外科に行き診察を受けました。

以前からギックリ腰を繰り返したものでしたが、
足にシビレが残っているのは初めてですと説明したのでした。

すると医師は、淡々とした口調で「腰痛症」と宣告したのです。

そして「痛み止め」と「栄養剤」と、
それに「湿布薬」をもらったのでしたが、
帰る車の中でも腰痛症には納得できませんでした。

2日後、再診に行きました。
初回とは違う医師に変更になったため、
再度状態の話しをした結果、MRI撮影の指示を受けました。

その結果「脊柱管狭窄症」の病名を付けられました。

しかも、2ケ所に症状があると説明され、
テレビで見た骨を削る手術のことを思い出し、
一瞬気持が混乱してしまいました。

しかし、治療の結果は理学療法と牽引でした。
1日おきに通院し、その治療を受けましたが、
良い方向には向いているようには思えませんでした。

むしろ膝のシビレが痛みに変わってゆくようになり、
治療後は足をひきずって帰る状態になっていました。

私は自治会関係の役をやっていて、1月、2月は行事や会合が多く、
椅子に座る回数が自然と多くなっていて、
座っている間は楽な姿勢になろうと身体を動かしてばかりで、
落ち着かないつらい時間でした。

立ち上った時は腰が伸びず、曲がった腰に手をあてがい、
足をひきずりながら帰る始末でした。

また2月中旬、法事で帰省した時には、
寺での法要が終わり、次の場所へ移動するのに
全てが凍りつくような寒さもあったせいか、
膝に激痛が出て歩けなくなってしまったのでした。

直線にすれば100メートルほどの距離でしたが、
一歩足を運んでは休み、また一歩運んでは休み、
痛みと寒さをこらえ40分以上かかってしまいました。

周りからは、なにをしていたと言われて、
説明するも聞き流されている感じがして
つらいものがありました。

帰る時も電車を乗り換えるための駅のホームの移動は、
膝の激痛との戦いで大変な思いをしました。

2月21日、2ケ所ある狭窄部の1ケ所にブロック注射をしました。
だが、まったく効果がありませんでした。

終了後、麻酔がさめる間、ベッドの上で注射の際の身体が
飛び上がるほどのショックがあったことにこわさを感じながら、
それでも楽になるならの期待をして、
もう1ケ所にプロック注射を3月中旬に予約しました。

それからの一日々々は、昼間動いていれば
膝の痛みもなんとかまぎらすこともできましたが、

座っていた後、立ち上った時におそってくる痛みには
言葉にならないつらいものがありました。

夜、フトンに入ると足をどの位置にしても
膝の痛みは日に日に強くなり、
早く眠りに入らなければとあせるばかりで、
朝方うとうとするだけの眠れない夜が
つづくようになりました。

そしてついには、激痛に堪えられず、
「痛い・・・」
と声を上げる状況にまで悪くなっていく始末でした。

夜が来なければ、と真剣に思うようになり、
精神的な不安も抱くことになり、
手術を覚悟しなければならないのかとも考えはじめていました。

しかし、骨を削る手術で後々影響がでないのかとの心配もあり、
頭の中は混乱状態でした。

そのころ家内が、習いごとをしている仲間が
治療を受けている自然良能会に行ってみたらと
勧められたとの話を聞き、ワラにもすがる思いで訪ねました。