(2) 脊柱管狭窄症 右足のシビレで歩行困難

施術所に入ってまず気になったのは、
治療台、治療器具が見当たらないことでした。

一瞬、間違ったかと思ったのが正直な気持でした。
先生の指示通り、現在の状態、過去の症例などメモ書きし、

それをもとに先生の質問に答えながらも
少々不安を感じていました。

しかし、先生から仙腸関節の説明をしてもらい、
関節のズレが骨格の歪みをつくり、
筋肉の偏った使い方が原因との話が
理解できるような気がしました。

病院に行く気はなく、他の治療院にも
行く気をなくしていましたから、
「かならず治ります」と言ってくれた先生にまかせ、
治してもらおうと心に決めました。

いよいよ治療に入り、俯せになるように言われ、
なんとか下を向くのですが、膝の痛みで身体が伸ばせず、
手で支えていなければならない姿に、

先生の口から、「これはひどいですね」
との言葉が出たことをおばえています。

治療の間、身体が鉄筋で固められているのか
と思うくらい硬くなっていることが自分でもわかり、

足を持たれると拒否するように逆の向きに
力を入れている状況を記憶しています。

治療後、ゴムバンドの巻き方と身体の動かし方の
指導を受けて、初日の治療を終わりました。

その時、先生から最低100回は通院して下さいと
言われたのでした。

100回という数には正直びっくりしましたが、
帰りの車の中で家内と勤めも終わって(定年)いて良かった、
とにかく良くなるまで通院してみようと話しました。

膝の痛みから開放されたい一心で、
毎日家ではゴムバンドを巻き、身体を冷やさない
ように気をつけながら過ごしました。

夜中に、膝の痛みで眠れない日は、
治療を受けだしてから確かな記憶ではありませんが、
一週間くらいでなくなったと思います。

そうなるまでの間は寝付くのですが、

2時~3時ころに痛みで眼がさめてしまうことが
間々ありました。

その都度ゴムバンドを巻き、
腰を回すことを何回か繰り返して、
また布団に入っていたのです。

施術所の定休日以外は毎日通院し、
治療を受けていくうちに、

体の硬さも徐々にほぐれていく感覚が、
自分でもわかるようになりました。

3月27日ブロック注射の予約をしていることを
先生に相談した結果、
予約をキャンセルすることにしました。

実は、2月25日、先生の治療を受けだして以来、
病院へは1回も行っていません。

治療を受けてから1ヶ月もたたないくらいで、
仕事(農業)ができるまでに状態は改善したのでした。

しかし、先生からは介護対象だから、
「休んでいなさい」と何回も言われましたが、

運動のつもりだから無理しなければいいだろうと、
自分で勝手に決めつけて動いていました。

治療も100回を超えたころ、
先生より週2回の治療にしていただきました。

夏場に入っていたせいか、
自分でも体が少しやわらかくなっているように
感じている頃でした。

常にゴムバンドを腰に巻いているのは、
ムレて大変でしたが、ギックリ腰の予防にもなると思い、
毎日24時間近く巻くことを当然のこととしていました。

翌年1月に、週1回の治療にしていただき、
現在に至っていますが、大きく反省している点は、
バンド巻きの回数を減らしていったことです。

寒いことを理由にしたり、忙しいからなどを理由に
していましたが、そうした怠けの結果は明らかに出ます。

3月、4月になっても足が温まらないため、
先生にうるさく言われていましたが、
ついさぼってしまう弱さに反省しきりです。

また、痛みのあった1年前と比較していてはダメだとも、
言われるたびに冷や汗が出る思いです。

あれだけ苦しみ、悩んだ症状を
ここまで治してもらったんだから、
後は自分自身で状態を良くし、保っていく、

治療は補助にさせてもらうくらいに気持ちを
切り替えて毎日努力しなければと、
いま、再認識しています。

Tさんはあれだけ悩んだ症状がウソみたいに改善し、
根がはたらき者の人ですから、

とうもろこしを1000株植えたり、
ブロッコリーやカリフラワーを700~800株植えて、
ひとりで切り盛りしているといいます。

頑張って治せば、こんなに元気になれる・・・!

ということを、身をもって実感していられるようです。
いまでもたまに、「健康保持の保険ですから」と

施術所に顔を出しますが、最初のころの痛みをこらえる
渋面とはうって変わって、にこにこ顔です。

病院では、脊柱間狭窄症とか椎間板ヘルニアなどと
病名を付けますが、乱暴な言い方をすれば、
そんな仰々しい病名はただ患者さんを不安に迷わせます。

全ての根幹は骨盤、つまり仙腸関節に尽きるのだ。
その根本の原因を正せば確実に「治る」ことを、
このTさんを治療して、またひとつ証明したのです。