(1) 膝、下肢が痛くてブロック注射 椎間板ヘルニア

■ 治る見込みのない無為の日々を過ごして

2月中旬、会社業務で2泊3日の予定で出張した。
その折りに最初の兆候が出た。

車から降りる時、右膝の外側がカクンとなり激痛が走ったのだった。
宿泊場所まで電車で行ったのだが、
膝のズキズキする痛みは耐え難いものだった。

ホテルのフロントでチェックインしてから
部屋に入るまでもやっとの思いであった。

(この痛みはなんなのだろう・・・?)と不安な思いがよぎったが、
反面では、そのうち痛みは消えるだろうとそのまま放っておいた。

重苦しい痛みは一週間つづいた。
会社の近くのA整形外科医院で診断を受けた。

その結果、右側に水が溜まっているので
水を抜くしかないとのことであった。

措置後、膝が軽くなった。
一週間後、また膝の水を抜いた。

その後も2回水を抜き、患部に紫外線を当てて治療したが、
右膝ばかりか左膝にも痛みが出て、さっさと歩くことはできんまい。
痛みに耐えつつ小刻みに一歩一歩、歩くのがやっとという状態であった。

6月下旬、ジワジワとくる左膝の外側の断続的な痛みで、
夜も眠れない状況であった。

股にタオルケットを挟んだり、台を置いて足を上げたりと、
いろいろ試してみたが痛みはいっこうにおさまらなかった。
つらい。眠れない。

土曜日は、A医院は午後から休診だから診てもらえない。
家でタオルに氷を入れて湿布したが、痛みはやわらがない。
翌日の日曜も同じように冷却湿布したが駄目だった。

月曜日早々に、かかりつけのA医院へ行く。
プロック注射をしたが、やはり効果はなかった。

それでも二日通院した。だが、結果は同じだった。
A医院まで歩いていくのに、1m歩いては数分待つ。

一歩進むたびに膝を抱え、ひと呼吸おいてまた進む。
そんな私の姿を通行人に見せるのがつらかった。

その次の日も、会社を退社後、またA医院へ行こうと思ったが、
なにしろ膝が痛く、なにかにつかまって歩かなくては
どうにもならない状態であった。

会社の通路から家内が迎えにきている車のところまで
3メートルしかない距離だったが、
そこまで行くにも何回も膝を抱えてひと息つかねばならなかった。

ようやくA医院へ行った時は、すでに診療時間は終わっていた。
他にいきつけのところはないので、
そのまま家に帰り、膝を冷やして我慢した。

夜中、膝の痛みで眠れない。寝返りもうてない。
悶々とする。朝方、疲れてようやく30分くらい
眠ったのだった。

6月下旬にB病院へ行く。
左膝を立てることができず、膝が痛くて歩けない状態だった。
腰にプロック注射をされたが、効き目はなかった。
痛み止めの薬と湿布薬が二週間分渡された。

7月に入ってからもB病院の外来に行っていたが、
痛みはいっこうにおさまらず、
そろそろと歩くのが精一杯という状態だった。

二週間後に担当医の先生から、このまま通院をつづけるか、
入院するのかと質されたが、仕事の予定や引き継ぎ、
その他のこともあり、会社や家内とも相談しなければならないからと、
後日、日程調整をさせていただくよう先生にお話しした。

そして、7月中旬に入院した。
入院して一週間後、脊髄に造影剤投入をすることになった。
麻酔をうたれ、脊髄に造影剤を注入するものだが、
これは「治療」ではない。

名前のごとく影を造って脊髄を鮮明に浮き立たせる
「検査」のためのものである。
その結果、腰椎4、5番の椎間板ヘルニアと診断されたのだった。

病室まで担架に乗せられてもどる時は、
足はまだ麻酔で麻卑している状態だった。

8月に神経根プロック検査を行う。
腰の左側からプロック注射をするものだが、
その痛みは半端ではない。

薬を注入された瞬間、激烈な電流が腰から膝、足の先まで走って、
思わず悲鳴に近い声を連発したのだった。
いかに苦しい検査であるかは体験してみて初めて知った。

私があまりに痛がったので、先生は右側はどうするか聞いてきた。
一週間後にまた同じ痛みは味わいたくないので、
このまま右側もやってほしいといった。

何日かして痛みが取れてきたので、
毎朝、外来処置室前の通路を歩くことにした。

100メートルほどの距離を20回往復。
約35分から40分ほどかけて、距離にして4キロほど歩くことになる。

毎回それだけ歩けることを確認し、痛みもだいぶやわらいできたので、
退院してもいいかを先生に問いただした。

会社で勤務するのに支障がなければ「いいでしょう」と許しが出て、
八月中旬に退院した。
その後は(万全な体調ではなかったが)仕事に障りなく日々を過ごした。

無理をしないように気遣いながら、
11月ごろからはお昼の休み時間は散策をつづけていた。

ところが年が明けた1月、散歩していて左股関節に痛みが感じたのであった、
いやな予感がした。

その月の下旬に、葬儀の手伝いに駆り出されたのだが、
駅から斎場まで歩くのに、足をひきずりながらやっと巡り着いた。

帰りは駅まで車で行きたかったが、他の人たちの手前もあるので、
寒いなかを脂汗を浮かべながら歩いたのだった。

翌日も膝の激痛は消えなかった。
再度B病院の整形外科へ行く。
徒歩で5分ぐらいの距離だが、とても歩けないのでタクシーで行った。

タクシー乗り場に行くまでも、痛みで何度も立ちすくみ、
ようやくたどり着く始末だった。
またB病院への通院が始まった。

月刊自然良能より