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② 激しい耳鳴りとメニエル氏病が骨盤調整で嘘みたいに・・・!

メニエル氏病は予想外の早さで完治するところとなりましたので、
今度こそ耳鳴りが早く解消するように医師にお願いすると、
医師曰く、「現在の医学において、耳鳴りが止む医術を実証できたならば、
博士号を享受できるよ」と言われたのでした。

いわば突き放されたような宣告でしたが、骨盤調整を体験し、
現にメニエル氏病を治した経緯を考えれば、不可能ではない、
治る可能性があるとの思いがありました。

しかし、耳鳴りはいっこうに止まず、
相変わらずのジャージャー、ガアーガアーはつづきました。
こんな耳鳴りがしていては、とても眠れるものではありません。

寸時でも睡眠を長くして耳鳴りの強襲からのがれたいとの思いで、
睡眠薬常習となっていました。

そうした苦痛のなかにも、自然良能会への通院15日ころ、
体調もおちついてきたところで耳鼻科の医師の許可を得て、
退院したのです。

退院の当日、耳鼻科の医師が、
「退院後も骨盤調整とかをつづけたほうがいいでしょう」
と言われたのでした。広い心の先生だなとありかたく思いました。

退院後の通院は距離にして75キロに及びますが、
先生の指示でJR電車にて通院することにしました。

そして3ヶ月間通い、体調は更に良い状態になったので、
それからは車で通院することにしまた。

私の通院は、先生の自信にあふれた施術と、
スタッフの方々の心からなるアフターケアが裏打ちされたものでした。

とくに施術の最後の頚椎の調整の際、
先生が身体全体で私を背後からかかえ込んで、
首を微妙に傾けて、「バキ」と調整されるのですが、
その折り先生の体温が私の身体に伝わり、
この治療の他にない「温かさ」をひしひしと感じるのでした。

まさに血肉をそそいだ施術であることを痛感します。
初めて骨盤調整を受け出し、当初は一週間5日通院でしたが、
次第に週3日、週1日の通院にて、通常の生活に対応できるような
健康を回復することができました。

現在は、月1回の通院によって日常の生活から、
農作業、あるいは肥育牛の飼料の供与等と、
羅病以前の生活に近い動態ができています。

バラコン運動は、いまも毎日朝、昼、夜と続行しています。
この運動、健康の証しであるこのバラコン運動は、
これからもずうっとつづけていくつもりです。

■現代医学も何かが変わったのだろうか

自然良能会の五味勝会長は、書籍や月刊誌などに書かれる記事で、
「正しい治療とはなにか」
を明確にしたいとの思いがあります。

そうしたことを少しでも多くの人たちに知ってもらえれば、
それだけ痛み、苦しみで悩む人が少なくなるとの
「慈悲の心」なのです。

同時に骨盤調整をもって日々患者さんに接している我々に、
治療家の姿勢を説くものでもあるのです。

それにしても「医学万能」の考えはいまだ牢平としてあります。
私たちもまた、そうした感覚と常に対峙し、
「そうではない」という間違いを、居丈高に言うのではなく、
実際に医者でも治せなかった症状が「治る」という
事実で証明しているのです。

今回の症例も男性、七十六歳です。
激しい耳なり、目まい等に悩まされ病院に入院されたのですが、
どうしても良くならないので困惑していた時、
知り合いの人の紹介で自然良能会へ来られたのでした。

最初、電話で問い合わせてこられた時は、
ご自分の状態をお話しされるのを聞き、
真面目で正直な方だなと感じました。

お聞きした年齢が年齢ですから、
病院を抜け出しての治療は不可能かなと思い、
医師の承諾を得て気楽な気持ちで治療を受けた方がいいと思って、
「病院の先生の許可をうけられたら」とお願いしたのでした。

以前にも、病院の四人部屋に入院していた若い人が、
外出届けを出して病院を抜け出して通ってきて、完治し、
職場復帰すると、二人目が来所するようになり、
三人目、四人目と、結局その病室の全員が
骨盤調整を受けにきて完治し、退院したことかありました。

「治る」ということが必須条件で、
要は患者さん自身の判断といってしまえばそれまでですが、
やはり病院側の思惑もあろうし、
あまり強引なこともできないと思ったので、
病院の承諾を得てといったのですが、
多分駄目かもしれないと思っていたものでした。

通常病院では、入院中に他の治療に行かせてほしいと頼めば、
即退院と言われると聞いていました。
ところが「先生の承諾を得ました」とお電話をされてきました。

それを聞いて、なかには親切な医師もいるものだと思ったものでした。
私たちは、五味会長のいう、「面子とか威厳を思って
肩いからせているとともすれば心が狭くなる。

私たちはなによりも患者さんのことを思い、
少しでも早く良くする、その一事にもっぱら意を注ぐ、
それに尽きるのです」との言葉を厳守し、日々実行しています。

是々非々は患者さん自身が判断するものではないでしょうか。
ただ、今回の例で、現代医学も「なにか」が変わりつつあるのかな、
と感じました。そのことに期待したいです。