ある日突然、腰から右足にかけて激痛が走り、
あまりの痛みに立っていることすらできなくなってしまった。
MRIの検査をすると、ヘルニアと診断され、
「ブロック注射の治療をするから入院しなさい」と言われた。
それでもだめなら、手術するということであった。
私はその言葉に驚き、逃げ帰ったのである。
私が腰に痛みを感じ始めたのは中学3生の時だった。
しかし、そのころバレーボールに熱中していた私は、
大事な大会を目前に控え、
体の注意信号を無視して練習をしつづけていた。
今考えるとそれが症状を重くした全ての根源になったのだと思う。
それというのは、その大会がきっかけで県の代表選手に選ばれ、
さらに厳しい練習が私に強いられたからである。
初めのころは、痛みに耐えながらなんとか練習することができていたが、
次第に遠征するための車で長い時間座りつづけることにさえ
耐えることができなくなっていた。
しかし、それでも私は痛み止めの薬を服用し、
無理をして練習しつづけたのだった。
そして、高校へ入ってもバレーボール部に入部したのでした。
その間、ずっと薬を服用しつづけていた私だったが、
ある日突然、腰から右足にかけて激痛が走り、
あまりの痛みに立っていることすらできなくなってしまった。
その時初めて、私は自分の持っている腰痛の
重大さに気付いたのである。
だが、すでに時は遅く痛みのために学校を休むことさえあった。
整形外科へ行き、MRIの検査をすると、ヘルニアと診断され、
「ブロック注射の治療をするから入院しなさい」と言われた。
それでもだめなら、手術するということであった。
私はその言葉に驚き、逃げ帰ってきたのである。
手術せずに済む方法を求め、いろいろな治療を試みた。
カイロプラクティックや電気鍼などにも通った。
しかし、どこへ行っても症状は良くならず半年近くが過ぎていた。
そんな時、知人の紹介で骨盤調整に通うことになった。
治療を始めたころは、治療中のあまりの痛みと
部活動に参加できないことへの焦りで涙さえ流したこともあった。
しかし、治療院の先生に「腰痛の重大さを受けとめ、
運動はあきらめて治療に専念するしかないよ」
と言われ、私は開き直り、自分の壊れてしまった体を
治していこうと決心することができた。
そして、今までの焦りから開放され、
精神的にも余裕を持つことができたのである。
それから2週間、毎日通院していたが、
ある朝今までに体験したことのない激しい痛みが走った。
先生は「今までの痛み止めの薬で麻痺していた神経機能が
回復してきたせいだろう」と言ってくれたが、
正直私はそのあまりの痛みに不安を感じた。
しかし、それから数日間通院し、治療をつづけると、
先生のおっしやる通りに症状が経過していき、
痛みも軽くなり始めたので、私は骨盤調整を信じようと決めた。
そして、あれから2年たち、今までのバンド運動や
T型まくらでの治療のおかげでだいぶ症状も良くなり、
長時間座り続けることもできるようになりました。
日常生活にそれほど不便を感じないほどに
回復することができた。
しかし、まだ痛みは残っているので、
これからの努力で完全なる回復を目指していこうと思っている。
月刊自然良能より