老化現象・・・という言葉は、
老人にとってはなんとも冷たい、無残な響きがあります。
あきらかに体力の衰えは如実に感じているし、
思うように身体が動かない、
身体のあちこちに障りがあることも、
誰よりも自分自身が自覚していることです。
だからこそ、まだ自分でも(他人の手を借りなくても)
なんとか動ける、用をたせることができる、
それが心の支えでもあるのです。
私は40代に脊椎カリエスにかかったことがありますが、
その後は大過なく今日にまで至りました。
ただ、64歳~65歳から右手が上がらなくなったのでした。
「遅れてきた50肩かな」と当初は意に止めなかったのですが、
なにげないようでいて、なんとも不自由なものでした。
そのうちに次第に右手に力がはいらなくなってきたのです。
そこであわてて病院ヘ行ったのですが、
整形外科医の診断は「老化現象」ということで、
その宣告だけで具体的にはなんの処置もしてくれませんでした。
症状は次第に悪くなっていくばかりです。
日常の動きもままならぬようになってきました。
私はつらいので「なんとかしてもらえないか」と訴えましたが、
医者の言葉は婉曲な言い方でしたが、要するに年齢なのだから、
手当のしようがないというものだったのです。
つまり、医者のいう老化現象とは、
手の施しようがないからなにもしないとの宣告であり、
患者自身にもあきらめろというものだったのです。
それには身体のつらさもさることながら、心が萎えました。
そうこうするうちに、右手でものが握れなくなってしまいました。
(私もこうして動けない老人になって朽ちていくのか・・・?)
と暗濃たる思いになっていたときに、
知人が自然良能会を紹介してくださったのでした。
五味先生は開口一番、
「20代の若さを取り戻せと言われても、
それは無理です。私は神の手ではありません。
だけど、まだまだお元気で動けるようにはして上げられます」
笑いながらそう言われ、さっそく治療にかかったのでした。
私からすれば、実際に治療をしてもらえる、
それだけでもうれしいのです。
まだ可能性に挑むことができるからです。
ところが、治療が終わると、先生が手を出して、
「さ、右手で握ってみてくださいといったのでした」
握れたのでした。しかも力強く・・・。
そればかりではありません。
立って足を上げてごらんなさいといわれると、
すうっと高く上がりました。
身体が見違えるように軽くなっていました。
私は思わず、五味先生に両手を合わせていたのです。
眼がうるんでいました。
先生はああ言われましたが、まさに神の手でした。
「しばらく通いなさい、まだまだ元気になりますよ」
との先生の言葉で、私の自然良能会通いが始まりました。
骨盤調整を受けることが「健康」の保証書をいただけるのだと、
ルンルン気分の通院でした。
月刊自然良能より