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長崎市筑後町3-22-803

③ 交通事故3度 全身の後遺症が

2学期になり出勤はしたものの、
以前にも増して強い偏頭痛や頻繁におこる
不整脈に悩まされるようになりました。

薬を飲んだり、3ヵ月くらい毎日、
温灸誠に通ったりしましたが、そのときだけで、さほど楽にはなりません。

せっかく調子よくなっていたのに、またなんだかんだと不調を訴えるようになり、
主人には「気のせいだ」とか「更年期障害」などと言われていました。

以前のような無理はほとんど利かなくなり、
上を向く動作を続けるとめまいが起き、尾を引くようになっていました。

病院に行っても、レントゲンに異常があるでなく、
気をつけさえすれば日常生活にとくにひびくこともなかったので、
そのままにしていました。

体の中で徐々に異変が起きているなど思いもしませんでした。

そのときの症状が消えたり、軽くなれば「治った」「健康になった」と
錯覚を起こし続けていたところに大きな落とし穴があったのです。

予想だにしなかった後遺症が出だのは、
新学期がはじまったばかりの4月下旬でした。

新しく顧問になった女子バスケット部の練習に参加、
手が足りないということでコートに入り、
10分もしないときに、首にプッツンというショックを感じました。

でもそれだけだったのです。
あと何もなく、次の日も国体のリハーサル大会に
生徒を引率して1日務めました。

帰りの車で異様な眠気が襲ってきたのが、
今思うと印象的です。

その晩はえもいわれぬ体のだるさと頭の重さが生じ、
食事も摂らずに床につきました。

翌日は3時間の特別ホームルームが気になり出勤、
なんとかすませることができました。

すでに頭痛は強まり、むかつきやめまいも出てきていました。
頭の痛みが左首からツキン、ツキンと上がっていくのがわかり、
初めて普通の頭痛でないと思いました。

そのうちに顔面左に痺れが出て、
だんだん下におりて左手、左足も蝉れてきました。

しばらく机に伏せたりしていましたが、どうにもならないので早退、
やっとの思いで家にたどり善き、布団を引っ張り出して横になりました。

夜になっても楽にならず、痺れもとれないので、
とりあえずかかりつけの町の医院へ連れていってもらいました。

「脳からかもわからない」といって、苦しいときに
なにやら手間暇かけて髄液検査をされました。

濁っていないし大丈夫だということで、
注射をしてもらい、薬をもらって帰りました。

しばらくすると頭痛も楽になり、痺れも取れて、
やれやれと安心したものです。

ところが、朝方、突如として再発、
体を起こすと一段ときつく、ろれつもまわらないほどでした。

左肩からひじへの激痛も出てきていました。
誰もいない家の中で「自分を守るのは自分しかない」
と思い吐き気にタオルで口をおさえてタクシーで、
2回目の事故のときかかった病院へ行きました。

膿盆を受けながらなんとか撮れた2枚の写真を見て、
「こんな首で運動するとはむちやだ。すぐ入院しなさい」
と言われ、着のみ着のまま病室のベッドに横になりました。

横になっていると比較的楽なのですが、
体は全く起こすことはできませんでした。

これでもか、これでもか、というように降りかかる災難に、
いくら悪運の強いわたしでもくじけそうになりました。

里の母も他の病院で入院しており、付き添ってもらう人もなく、
ベッドに寝たまま首を引っ張ること2週間。

天井板の穴をみつめ、食事は手さぐりの手づかみ。
トイレは3日目くらいからは自分でなんとかしようと、
コルセットを作ってもらい、寝たままで交換、
1秒たりとも首を動かさないようにして、ベッドに頭をつけていました。

情けなく「半身不随」「再起不能」など
良からぬことばかりが頭を駆けめぐり、ため息と涙ばかり出していました。

1週間ほどして症状が幾分かおちついたので、
腰から造影剤を入れて精密検査をしましたが
失敗におわり、ベッドごと別の病院へ運ばれCT撮影をしてもらいました。

結果は「頚椎3、4番の頚椎椎間板ヘルニア。
ただし太い神経に達していないので手術の心要はない」ということでした。

飲み薬とベッドでの牽引がさらに1週間続きました。
それでも5分、10分と体が起こせるようになると、
外の春爛漫の景色が彷彿と感じられはじめ、気持ちにゆとりが出てきました。

義父を世話しながら、そのきつさをおくびにも出さないで留守番をし、
自転車で見に来てくれる子供達のことを思えば、
元気にならないと罰があたると思い、
自分の悪運の強さにかけてみようと思いました。

月刊自然良能より