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(3) 腰椎椎間板ヘルニア 腰から右足の痛み、しびれで歩けない

多くの疾患に悩み苦しんだ果てに、骨盤調整でようやく解消

苦しみをバネに健康法を考案して

Sさんが椎間板ヘルニアと併用して起きた腰椎分離症、すべり症の
悩みを訴えて自然良能会へ来院したのは59歳でした。

19歳で機関員として船に乗り込んでから53歳で船を下りるまで、
東南アジア航路や国内航路の貨物船やタンカーなどの船員として
過ごしたのでしたが、同時に数多くの病気に罹って、
それらの闘病に苦闘する日々でもあったのでした。

その多彩な病歴が、Sさんに、「健康を取り戻すにはなにが重要であるか?」
ということを真剣に考えさせ、まず食事の内容や食習慣を見つめ直し、
実行する努力を必然的になさしめたといえましょう。

そして、52歳になって始めたボクシングも、
それらの一環である運動療法だったのです。

次に疾患に見舞われたのは39歳。

右耳が化膿して、膿が出たのです。
びっくりして耳鼻科にかかると、診断は右耳急性中耳炎。

だが、その時はほどなく治ったのでしたが、
それからも何度か軽度の症状が出て、
本当に完治したのは5年くらい後のことでした。

Sさんは耳の病気は、手術は痛くて大変であり、
運が悪いと治りにくいと聞いていたので、
再発を恐れて散髪にいってもシャンプーは断り、
家に帰ってから自分で洗うようになって、
そうした自己流の再発防止法が長年定着しているといいます。

そして、48歳の時、首が痛くて左右に回せなくなって、
整形外科で診断を受けると頚椎椎間板ヘルニアとのことでした。

しばらくは幅の広いカラーのようなコルセョトを、
勧められるままに装着していましたが、
仕事がしづらいので2~3日ではずしてしまったのでした。

医者からは、この症状は一生治らない人もいるからと、
無謀な行為を咎めてそう脅され、さすがにしばらくは不安でしたが、
痛みは徐々にひいていき、一ヶ月くらいで完治しました。

以後は過度な労働でひどく疲れた時などには
軽い違和感をおぼえることがあったが、
それも加齢と共にその回数も減っていったとのことです。

次の症状は、54歳の時に出ました。

Sさんは自分でも「貧乏の二字が下につく器用さです」
ということで、それを活かして53歳で船会社を退職した後は
「なんでも屋」になったのでした。

その一年後に、Sさんは自宅の裏手にある築50年余りの
二階建ての家屋の補強改装工事に取り掛かったのでした。

その工事中に右肩の後ろに軽い痒みを感じ始めたのだったが、
さしたることもないだろうと放っておくと、
一週間くらいすると右腕の腋の下に湿疹ができていて、
時折チクチクと針で刺すような、
これまで経験したことがないような痛みをおぼえたのでした。

これは尋常な痛みではない・・・?
と皮膚科へいくと、帯状庖疹との診断だったのです。

医者からは一週間の安静を中し渡されたのだったが、
普段通り動き回っているうちに、半月くらいで治ってしまったといいます。

さらに56歳の時に、レイノー病に罹りました。
深夜の2時近くに目覚めて、寝付かれないのでそのまま起きて、
医療関連の本を取り出して勉強を始めたのでした。

そして3時半ごろ、右人差し指に違和感をおぼえて、
ふと見ると、瞬く間に血の気がうせて真っ白になって
冷たくなると同時に、痛みも生じてきたといいます。

とっさの思いつきで、お湯に指を浸けて手もみをしたのだったが、
回復までの数分間は、このまま切断ということになるのでは・・・?と、
最悪のパターンを連想し、恐れと不安におののいたものでした。

それから何日かおきに症状が出るようになりましたが、
それ以上悪くなるようでもなくて、いつしか慣れっこになってしまい、
そのうちまったく出なくなってしまったのでした。

だが、なんの症状なのかわからないだけに、なんとなく気にかかって、
医者に「どこか内臓でも悪いのでしょうか?」と聞いたが、
どうってことはないです、すぐに良くなりますよと答えでした。

半年後にまた症状が出たのです。

しかし経過は前と同じですし、医者の診断も同様でした。
がっかりしたSさんは、それなら病名と治療法を自分で
見つけようと考えたのでした。

そして見つけたのでした。