二回目も、医師は半信半疑で、徽菌の検査をしておきましょう、
といい、十日後にまた来てくださいとのことでしたが、
その間大変つらい思いをしました。
十日も待てないので、不純物の出た尿を持参して見せたところ、
医師は、すぐ外科へ行きなさい、と言ったのです。
外科ってなんだろうと、不審に思いつつ行くと今すぐ入院しなさい、
すぐですよ、と念押しされました。
私はなにか簡単に処置してくれるのだろうと思っていましたが、
病院では大騒ぎしていたみたいでした。
それから十日ほど、検査々々の連続でしたが、
明確な原因も患部もみつかりません。
あれこれと自分なりに憶測するのは、悲観的な思いばかりでした。
あれだけ手術はいやだと言っていた私が今では腹を切り開いてでもいい、
早くこの苦しみ、苛立ちから脱却したいと、半ばヤケになっていました。
十月秋も深まり、寒い西風がどこからともなく入ってきます。
腰痛ももう限界。点滴や排尿管がついたまま足腰の治療、
点滴をしたまま風呂へ入ったり、もうパニック状態で夜遅くまでかかりました。
寒くなったので、喘息の発作がでないように身体を温めて待ちました。
まるで処刑前の囚人のようでした。
手術の当日。処置室へはこぼれ、手術用のストレッチャーに乗った時は、
むしろほっとした安心感と、なげやりな気持ちがこもごもでした。
膀胱直腸の手術でした。手術の後、自分のお腹を見ると、
下腹部の真ん中が見事に縦に切り傷が走っていたのでした。
なぜか安堵感がありました。
一週間後に退院しました。やがて冬がきました。
しかし、腰の痛みはなんの解決もしていません。
また振り出しにもどって、来る日も来る日も痛みに苦しみ、
症状は悪くなる一方でした。
歩くことすら、いや車を運転することもできなくなりましたが、
なんとか自分であちこちの病院や治療所に通いましたが、
好転する兆候はありませんでした。
私をおそったのは、(もう駄目だ、終わりだ・・・どうしよう・・・)
という絶望感でした。
せっかく三十八年間も働いて働いて、忙しい時は、日曜も祭日も慟いたのに、
やっと深い井戸の底から出てきたのに、まだ苦しみがつづいている。
あの人達のようにゲートボールや、旅行をし、
朝はおそくまで寝て、夜は酒でもたしなんで・・・。
そんなささやかな余生を夢みていたのに、
このつらさは筆舌では尽くせません。
でも、そのことを他人に言っても、この痛みはわかってはもらえないでしょう。
(まだ若いのに、なにしてるのかいな)そう言われるのが関の山です。
六月のことでした。甥もギックリ腰で困っていたとのことを聞かされたのです。
そして、自然良能という腰痛治療に抜群との定評がある団体のことを、
知らせてきたのでした。
それを甥が知ったのは「医者が救えない腰痛はこうして治る」
という題名の本だとのことです。
私はさっそく姪御にその書籍を買って送ってもらうことにしました。
すぐにむさぼるように読みました。
そこに書かれていた内容は、私がこれまで聞いたことのないもので、
文字の一つひとつがキラキラと輝いて見えたものです。
書名のように「医者が救えない腰痛・・・」
「こうして治す」と具体的に書いてあったのです。
私は、これだ!!と希望をもちました。
そして、巻末の名簿を見ると市内にに支部がありました。
さっそく電話を入れたのです。
月刊自然良能より