(3) 体は曲がって腰が伸びない 椎間板ヘルニア

■ 頑張らない精神で頑張る

子どもたちが夏休みに入ると、
実家にいって過ごすことになったので、
私は治療所へ通うだけの生活がはじまったのです。

痛みは、前よりひどく感じています。
家から駅までは、普通に歩くと徒歩5分です。
でも、私が歩くと途中で何度も休憩を入れるので、
20分もかかってしまいます。

電車の乗り換えもすべて、
エスカレーターとエレベーターをつかうようにして、
一番少なく歩いていけるようにしました。

駅から下りても、2回ほど休憩を入れて、
やっとの思いで支部へ行っていました。

私があまりに痛がるので、夫と父が心配して、
もう一度整形外科で診てもらうことになりました。
8月16日に病院へ行って診察をうけました。

レントゲンの結果は、ヘルニアの痛みではないと言うのです。
同8月23日にMRIを撮り、31日に結果を聞きにいきました。

前に出ていた4番と5番のヘルニアはほとんどなく、
その下がすごく出ていて神経を圧迫しているとのことで、
手術する必要はないというのです。

この結果にがっかりしたのは夫でした。
これまでも朝の食事から、子どもの世話など、
いろいろと負担をかけていました。

私の家では、自分のことは自分でするのが約束になっていたのです。
それだけになおさら私に早く治ってもらいたかったので、
できれば手術して欲しかったようです。
私の方は、これで改めて治療に専念できると思いました。

最初に痛かったところは治っていたのに、
私が無理をしてしまったために、
また別のところを悪くしてしまったのです。

ともかく、治療所へ行って治すしかないとわかったら、
それを実行するのみで、頑張って毎日また通いはじめました。

ただ、新たな痛みがでてから、
私の気持ちはおちこんでいく一方でした。

その時に私を救ってくれたのは治療所にきている人達でした。
みんな痛い経験があっていろんなことを教えてくれました。

本当に親身になって話を聞いてくれて、
助言もしてくれました。

特に印象に残っているのは、
「まずは心を鬼にして、自分のことだけを考えて行動しなさい」
ということでした。

私はみんなに迷惑をかけているから、
自分でできることはなるべく自分でしていました。
それがいけないというのです。
やはり動くと身体に負損がきて、治してもまたもどってしまうのです。

まず、この性格から変えていかなければいけないと思いました。
そして、みんなにたよって生活していくことにしました。

家事をするのに、毎日妹にきてもらうようにしました。
娘のサークル活動は友達に連れていってもらうようにしました。

週末は実家で過ごして、なるべく動かないようにしました。
私はひたすら毎日治療にだけ専念する生活になったのです。

自分の中では、助けてくれる人に対して悪いなあとか、
すまないなあとかいろんな気持がでてきましたが、
身体が動かないのだからしようがないやん、と思えるようになりました。

そして友達がこんなことを言っていたのを思い出しました。
「人にしてもらったことを、その人に返そうとすると大変だけど、
他の人に返すと思えばいいよ」と。

これは私にとっても気が楽になる言葉でした。
私が治ったら、自分のできることからすればいいのだ、
と思えるようになりました。

それからの4ケ月は、子ども達もよく耐えたと思います。
次男の担任の先生からは、学校でよく泣いていますと言われ、
娘はサークル活動へ行っても「帰る」を連発していました。

長男だけは、私に、治っても動いたら
ダメと注意してくれました。
それぞれが自分の力で乗りこえていってもらわなくてはいけないと、
私は考えていました。

私はともかく、身体が治らなくては
どうしようもできないと思っていました。

子ども達には、私がいなくても自分で考えて、
自分で判断できる子になってほしかったのです。
見守っていくだけというのはなかなか大変だけど、
私にはそれしかなかったから、
結局はこのことが子ども達をどんどん成長させたのだと思います。

そして、私の身体は1ケ月ごとによくなっていきました。

9月末の運動会にも、なんとか行くことができ、
11月には、朝起きたときのすごい痛みもなくなっていきました。

ただ毎日でみれば、その日によってよくなったり、悪くなったりで、
自分の中では本当にしっかり歩けるようになるのか、
不安でしかたがなかったりしていました。

冬はあっというまにすぎていき、2月くらいからは
料理を少しずつするようにしました。

でも、フライパンを持つのが重たく感じたりして、
なかなか家事をすることができませんでした。

春になると、買い物やかたづけをするようになりました。
ともかく、無理しないことが大切なので、
自分の身体と相談しながらです。

痛いと思う時はすぐに休むことにして、
少しずつできることを増やしていきました。

夏になり、いろいろ出歩いたりできるようになって、
8月28日にようやくさらしをとって生活するようになりました。

ここまでに2年と8ケ月もかかったけど、
ようやく普通の人になれたように感じて、
すごくうれしかったことをおぼえています。

さらしなしの生活がはじまって、
ともかく昼寝をするようにしていました。
疲れをとるためには、横になることが必要でした。

それでも、秋から冬にかけて、買物やいろんな用事で
外に出れるようになって、
ようやく少しずつですが社会復帰をしていきました。

自然良能会の支部に通いだしてまる3年がたち、
それから行く回数を少しずつ減らすようにしていきました。
週5回から週4回、春になって週2回にしました。

その間に、子ども達の用事で動くようになりました。
そして、長男はバレークラブに入り、
私自身も土・日のない生活がはじまりました。

私の身体が治ってきたことを知り、
それぞれがやりたいことをするようになりました。
私も子どものためにできることが増えていきました。

夏から秋にかけても、毎日が本当に忙しい生活になり、
また頑張りすぎて腰が痛いことがありましたが、
すぐにおとなしく寝て治しました。

動きすぎるとかならず身体のあちこちが痛んで、
私自身にメッセージをくれるようになっています。

そのことを頭の中で考えながら、
これからも「がんばらない」精神で生活していきたいと思います。

治療は今は週2回になり、いずれ週1回でいけるように、
そしてこれからもずっと先生には助けていただきたいと思っています。

人から見れば、本当に長くかかったように思われますが、
私は、子どもたちと毎日過ごしながら治せてよかったと思います。

本当にありがとうございました。
そして、これからもよろしくお願いいたします。

月刊自然良能より