そして、Sさんは23歳の時、急性肝炎を患ったのです。
船員になった一年間は、国内の各港を回る不定期航路の
貨物船に乗り、それから外国航路の船に乗ることになりました。
東南アジアが主体の近海区域航路であって、30過ぎまで勤め、
その後は国内航路のオイルタンカーやLPGタンカーの
機関長として退職まで乗務したのでした。
外国航路の楽しみといえば、珍しい異国の港での
上陸の楽しさもありますが、酒好き酒飲みにとっては
あらゆる種類の酒が税抜きの超廉価な価格でふんだんに購入、
積み込みができたことで、
「東南アジアの夏季は40度以上の高温で、
くわえて劣悪な環塊下での当直を終えた時に飲む、
冷えたビールのおいしかったことは、いまでも忘れられません。
まして船の上では他にさして楽しむものもありませんから、
ついつい酔いつぶれるまで飲むことが多かったですね」
とSさんはいうのでした。
そんな日々を過ごしているうちに次第に食欲がなくなり、
脂っぽい料理にむかつき、身体がけだるい状態になって、
日本に帰った時に病院で診てもらった結果、
急性肝炎ということで即入院という仕儀になったのでした。
さいわい肝炎は、2ケ月入院して治療した結果完治し、
ほどなく職場復帰することになったのでした。
Sさんは、「飲んべえの性というのでしょうか、
また仕事にもどれたことと同時に、酒が再び飲めるという
よろこびに胸が躍った・・・というのが正直な気持ちでした。
それだけに、喉元過ぎれば熱さ忘れるの例え通り、
健康のありがたさを省みることなく、
酒びたりの日々に逆もどりするのに、
さはどの日にちも要しませんでした」と言うのです。
そして、一年後のことです。
「当時乗船していた船がが、神戸から香港に向けて、
瀬戸内海を航海中の時でした。
朝の7時30分に当直交代で起こされ、
トイレに行こうと立ち上がった途端、
激しい心臓発作を起こして倒れてしまったのです」
発作性心頻拍症でした。
緊急入港して、病院に入院したのです。
突然の事故で、船は欠員補充する間もなくあたふたと
出港していったといい、Sさんは船会社や乗組員に
多大な迷惑をかけたことを中し訳なく思ったといいます。
「肝臓病の時は、命の恐怖はこれっぽっちもありませんでしたが、
心臓の病とあっては死の恐怖に
日夜さいなまれることになりました」といい、
医師にいわれるまま禁酒禁煙に踏み切ったのでした。
禁酒禁煙は、言葉では容易ですが、
いざ実行となるとなかなか大変なもので、
ましてSさんのようなヘビー級クラスの人にとっては
「さぞや苦しかったのでは」と察せられるのですが、
Sさんは酒、煙草の功罪を調べて、
いってみれば論理的に自ら枷をつくり、
禁酒禁煙に弾みをつけようとしたのでした。
そうしたことを調べるということは、
結果的に「健康法」を考えるということになり、
いろいろと独自の食事改善まで考案するようになって、
後に冊子にまとめたのでした。
このようなSさんの姿勢が、当人の意識以上に
自らの健康づくりに「前向きに取り組む」ものと
なったのではないでしょうか。
「酒は、適量ならば血管拡張作用があって、
血圧を下げたり、ストレス解消になって、
百薬の長などといわれていますが、
栄養学的にはアルコールを分解して体外に出すために、
大切なビタミンB1、B2、ナイアミンなどの
ビタミンB群の一部のパントテン酸と
ビタミンDのはたらきを阻害するような
デメリットが大きすぎることから、
適量の酒は身体に良いなんてことはありえないと思います」
とSさんはいい、また煙草についても、
悪いことはいまさらいうまでもないが、
栄養学の見地からみても、煙草を1本喫煙するたびに
ビタミンCを約25ミリグラム消費するので、
吸えば吸うほどビタミンC不足をきたし、
ひいては発癌性を高める悪影響をいろいろと及ぼすことになる、
というのでした。
Sさんの心臓発作は、2ケ月の入院で頻拍は改善されましたが、
その後もときおり不整脈はつづいたのでした。
主治医の先生からは、「不整脈は完全には治らないでしょう。
不整脈による血栓ができないように、
血液サラサラにする薬を飲みつつ、
心房細動などの不整脈となかよく
付き合っていかなくてはなりません」
しばらくは自宅で身体を慣らしてから職場復帰
をしなさいといわれ、不安をかかえながら退院したのでした。
つまりは、Sさんの病歴はそれで終止符を
打ったのではありませんでした。
むしろこれまではプロローグであって、
本番はそれからであったようです。
その後も40歳までに、
心臓病で6回も人退院を繰り返したのでした。
さらに24歳の時、シンガポールに向けて航海中のことでした。
なんの前触れもなく突然、上唇の中ほどが
水ぶくれみたいにプーッと膨れたかと思うと、
まもなく唇が左右に引き裂かれるようにパクッと割れて、
びっくりしたのでした。
日本に帰港すると、すぐに病院へ行って
診てもったところ、ビタミン不足が原因だといわれ、
処方されたビタミン剤を半月くらい飲みつづけたのでした。
だが、なんの改善も見られなかったといいます。
Sさんは、それっきり病院へは行かず、
自分なりにアロエを使ったのでした。
そして50歳を過ぎたころにようやく完治したのですが、
それまでは一進一退の繰り返しで、
ことに冬場はその症状がよく出て、熱いみそ汁や醤油、
刺激の強い食べものを口にする時には、
強烈な痛みに悩まされたものだと述懐しています。
お姉さんは心配して、
「病院へ行き、しっかり治したほうがいいわよ」と、
閉口するほどうるさく忠告したといいます。
処方されたビタミン剤がなんの効果もなかった
ことへの不信感と、症状が化膿するほど悪化しなかった
ことで、頑固に病院にいくことを拒んだのだというのでした。
その次に悩まされた症状は、花粉症、アトピー性皮膚炎です。
Sさんは30歳になって所帯をもったのでしたが、
結婚して間なくの入梅のころ、突然鼻水がたらたらと出だして
止まらなくなってしまったのでした。
当初、風邪をひいたのかと思ったが、咳も出ず、
熱もない。食欲もあった。
ヘンだなと思い、診断してもらうと「花粉症ですよ」
ということでした。
それと同時期にアトピー性皮膚炎にも罹ってしまいました。
花粉症は何度かの治療で、完治はしませんでしたが、
病院にかかることなく過ごせるようになりました。
しかし、アトピーは大変でした。
何軒も病院を変わりましたが、いずこもなんの効果がなく、
ついに受診することを断念したSさんは、
以後、薬局で購入した薬を患部に塗り込む、
自己流の治療をつづけて、結局アトピー性皮膚炎が
完治したのは50歳になった時だったといいます。
「多くの病気を発症し、病院で治療しても治療効果のないケースが、
あまりにも多すぎる現実を知った時から、
心の空しさを禁じえませんでした。
と同時に、現代医学の実力と限界を知る
きっかけを得られたように思います」
病歴は、同時に現代医学に対する挫折の連続でも
あったのでした。