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(1) 椎間板ヘルニアの宣告にがっくり

(あっ、立てない、歩けない、座れない)どうしたのだろう?
びっくりしました。
かれこれ1年前のことでした・・・。

私の家は兼業農家ですので、
5月の田植えと9月の稲刈りはことに大変な時です。

普段はパソコンで仕事をやっていて、
一日中座りづめでモニターとにらめっこをしている日々でした。

その年も、例年通り5月の休日は田植えに駆り出されたのです。
私の仕事は苗箱をはこぶ手伝いなのですが、
それはそれで結構疲れたものでした。

田植えが終わって2~3日した時、
急にお尻や腰のあたりが痛くなったのでした。
(しばらく横になっていたら治るかも・・・?)

と思って横になったのでしたが、
良くなるどころか悪くなるばかりで、
立ったり座ったりするのも本当に一苦労で、
歩くのもピリピリした痛さに顔をしかめて、
そろそろとしか歩けない状態になってしまったのです。

それは、これまで経験したことのない
出来事だったからショックでした。

どうやら40過ぎという年齢に加えて、
椅子に座り詰めの仕事をしていたのが、
急に屋外でのハードな肉体労働をしたのが
原因だろうと考えたのです。

デスクワークの人は要注意です・・・と一言。
いずれにしても、
私は(これはやっかいなことかもしれない)と判断して、
次の日、整形外科へ行きレントゲンを撮ってもらいました。

その結果、腰椎の4、5番の聞か狭くなっているのがわかり、
「もしかしたら椎間板ヘルニアかも・・・?」
しれないので、紹介状を書くからMRIを撮ってきてください、
と先生が言われたのでした。

そこで紹介状をもって有名な外科で
MRIを撮ってもらったのでした。

その結果、先生の「これはきれいに出ているね」
の一言でがっくりしました。

しっかりヘルニアだったのです。

「これは切らなくてはならんな」
先生はさらっとした口調で言いました。

「だけど、30~40分ぐらいの手術ですぐ楽になるし、
切った疵も1~2センチほどだから目立たない」と、
しごく簡単に言われたのです。

しかし私にすれば大ショック・・・気分は最悪でした。

後に自然良能会々長(五味先生)の書かれた本を
読んで知ったのですが、その病院で勧められた手術は
「最小侵襲手術」といい、腰部に穿った穴から内祝鏡を入れて
突起した髄核を削り取るものだと思うのです。

たしかに従来の手術よりは疵口も小さく、
入院期間も少なくてすみますが、手術は手術です。

しかも五味先生は、
「椎間板ヘルニアは手術しても断じて治らない」
と明言され、なぜなのかと理由を詳しく述べていられます。

だが、切らなければ・・・と宣告された時には
そんなことは知らず、ただ「手術」の二文字で
頭が真っ白になってしまったのでした。

そんなしょげかえっている私を見て、
先生は、私に気持ちの整理をさせるために、

「ま、人によっては急に出たヘルニアが、
たまに元にもどる例もあるから、
いきつけの整形外科の先生と、手術にするか、
理学療法というのだが、電気療法や牽引などをしながら
しばらく様子をみるか・・・?よく相談されるといい」
そう言われて診察室を出たのでした。

しかし、先生の言葉はすぐか先送りかの違いだけで、
手術をしなくてはならないことは同じであり、
私の落ち込みは癒されませんでした。

そんな時、後ろのベンチで診察待ちをしている人が
ヘルニアの話をしているのが聞こえたのでした。

振り返って見ると、70前後の年格好のおばあさんでした。
その人は横の中年の女性に、
「手術をしても、腰がだるいし、重いんやわ。
あんまりようなったように感じんわ」
そう言っていたのです。

そのおばあさんの一言で、私は決心しました。
手術はやめや。電気療法と牽引にしよう・・・!

すぐにいきつけの整形外科の先生のところへもどり、
その方向へもっていってもらうことにしたのでした。

月刊自然良能より