ひどい症状の椎間板ヘルニアのAさんは、
何度も医者に手術を勧められたが、
手術だけは受けたくないと拒絶した。
しかしあまりの激痛に「なんて生きていなくては・・・?」と
絶叫したほどだったが、
知人に紹介された骨盤調整に賭けて頑張った。
そして治った!!
2月1日、電話をかけるがつながらない・・・!
もう一度、もう一度・・・やっとつながる。
「私、椎間板ヘルニアで重症だと言われているんですが、
そちらでお世話になれませんか?」
一気にまくし立てると「少々お待ち下さい」少しの間があり、
「大丈夫ですよ。それでは早い方が良いですね。
明日はご都合はいかかですか?」
「はい、伺えます」涙があふれてくる。
(治るかもしれない・・・?)
MRIの写真を見ながら医師が、
「ヘルニアですね。かなり重い症状なので、
できればすぐに手術をしてください」と私と主人に告げました。
私は頭の中が真っ白になってしまい、しばらくぼう然としました。
実は私の母も同じ病気で手術をしたのですが、
治らず10年以上苦しんでいるのです。
その後、3人の医師の診察を受けたのですが見解は同じ。
整形外科の責任者という医師に、
「手術をしたら治りますか?」と質問すると、
少しあきれたという様子で、
「あのね、ヘルニアの手術をして『治る』と
断言するような医者がいたら、
よっぼどの『ヤブ』か『名医』だよ。
ほとんどの人がしびれや腰痛が残るんだよ。
ただ、少なくとも今よりは痛くなくなるハズだけどね」
予想していたとはいえ、ちょっとびっくりしました。
医療は日々進歩していると問いていたのに、
ヘルニアの手術は母が受けた時と変わっていないというのが実状なのです。
その後、コルセットを作り、それを取りに病院に行った時に
診察した医師は、やはり手術を勧めましたが、
私が断固として手術はしない意思であることを告げると、
「手術をしないのも選択肢の一つではあるよね。
実際ヘルニアの患者さんの9割は手術しないんだから」
とおっしやいました。
(ほとんどの人が手術をしないということは、
ほとんどの人が民間療法かなにかで治しているんだ)
少し希望がわいてきました。とはいうものの、
この時の私の痛みはひどいものでした。
一日中べッツドで過ごしていましたが、寝ていても「痛い」、
寝返りを打ちたくても全身が痛くてどこにも力が入りません。
歩行は勿論、立つこともままなりませんでした。
「トイレに行く」「お風呂に入る」そういった
日常生活の一つ一つの動きが、自分の思い通りにはいかなくなりました。
目に出る言葉は、「痛い」「つらい」「苦しい」のオンパレードです。
食事もべッツドまで運んでもらい、寝ながら食べていました。
毎日がこんな調子ですから、
「こんなにつらい思いをしながら、なぜ生きなくちやいけないんだろう」
という思いが頭の中をグルグル回り、
生きる意味を見失いそうになっていました。
そんな時でした。いつものようにべッドに寝ながら
あまりに痛くてつらくて涙していると、
いつの間にか部屋は真っ暗になっていました。
電気をつけようと上体を起こそうとしましたが、
どうしてもコードに手が届きません。
コードに指がふれると、ゆらゆらとコードがゆれて、
私の手に入ってくれません。
(電気をつけることもできないなんて・・・)
情けなくて、さらに涙があふれてきました。
すると主人が仕事から帰って来て、
「どうしたの? 電気もつけずに泣いてて」
「だって痛くて苦しくって、なんのために生きているのかわからないんだもん」
と答えると主人は、
「君はそこにいてくれるだけでいいんだよ。
生きていてくれるだけでいいんだよ」
と優しく言ってくれました。救われた言葉でした。
(生きていてもいいんだ。お荷物になってもいいんだ。
生きていても迷惑じゃないんだ・・・!)
そして主人は、私の「手術は絶対にしない」という意思を尊重し、
いろいろな方にどういう治療がいいのかリサーチしてくれました。
その中で「私もヘルニアだったんだけど、
だまされたと思ってココに行ってみて」
と教えてくれた方がいました。
ただそちらは家から離れており、通院するには無理だったのですが、
しばらくして母から一冊の本が送られてきました。
「椎間板ヘルニアは手術なしで治る」でした。
私は勿論端から端まで何度も何度も読みました。
そして自宅の近くに支部があることを知りうれしくなりました。
さらに私に希望を持たせてくれたのは、
ヘルニアを治した方が紹介してくれた治療所も
「椎間板ヘルニア・・・」の本に載っていたのです。
月刊自然良能より