(1) 椎間板ヘルニア 左の腰から足先までしびれ腰に電気が

歩けることの喜びを改めて感じて
悩み苦しんだ椎間板ヘルニアを骨盤調整で治癒

椎間板ヘルニア。半端な激痛ではない。
いろいろな治療を試みたが、
悪くなる一方で良くなる兆しはなくて、
気持ちも落ち込むばかりだった。

助けて欲しい・・・。悲痛な叫びだった。
しかき骨盤調整と出会ってみるみる回復して、
ひさしぶりに子どもをだっこした時、子どもが泣いた。

ママにだっこしてほしかったの・・・って。

再び歩けることの喜びをかみしめつつ、
子どもの手をひいて散歩しているという。

悪夢の日々を中学二年生の時でした。
私は学校に行くため、地下鉄の階段を降りていました。

その時プラットホームで、
発車するベルが鳴っているのを耳にして、
私は二段飛ばしで階段を降りて行ったのです。

その時でした。「あっ」と足を踏み外した瞬間に、
下まで転げ落ちてしまいました。

「痛い!」足首は捻挫して、
腰も強く打ってどうすることもできませんでした。

この時から私は、三十二の現在まで
整形外科、整骨院、鍼灸、カイロなど、
さまざまな病院と治療に通う身体になってしまったのでした。

昨年の十二月でした。子供が走るので、
「危ない」と思った時、腰にズキンと電気が走ったのです。

足が動かなくなってしまいました。
そのころは鍼灸に通っていたのですが、
治療を変えたほうが良いと思い、
一月に整骨院に通うようにしたのでした。

整骨院の先生は、「四日に一回ぐらい来たら治るよ」
と自信ありげにおっしゃいました。

過去三回ギックリ腰になったことのある私は先生に、
「いつもと違うのです。かなり痛むのです」
助けて欲しい一心でべッドに横になりました。

痛いところをぐっと押され、(そんなことして大丈夫か?)
先生に対して不安を感じました。

「一度立って前に曲げて」と言われ、
ゆっくりの動作しかできない私は、
(そんなことをしたら余計に痛むのに・・・)と心の中で呟きながら、
「もう一度べッドにあがって」と言われるとおりにした途端、
「ギャー・・・」と大声を上げてしまったのです。

左の腰から足先までしびれと同時に・・・
あの痛いお産でさえ声も出さなかったのに、
二時間半全身がピクッとも動かないまま泣き叫びました。

途中、興奮しているとお茶をいただきましたが、
身体の中を液体が通るだけでも痛くてしかたがありません。

やっと主人と母に支えられ実家に帰り、
一晩中泣き嘆き、朝を待ちわびて整形外科に
飛び込み診ていただいたのでした。

そしてMRIを撮っていただきました。
レントゲン担当の先生が、
「大きな椎間板ヘルニアだ。これは入院だね」と言われました。

けれど私は、「一度帰してください」と言いはり、
一歩あるくのも涙しながらようやく家にたどり着きました。

「どうせ入院するなら、もっと有名な先生に診てもらおう」

きっと手術と言われるに違いない。ヘルニアの手術はこの先生だ、
と言われる先生を捜しました。

三月五日になって、やっとその先生とめぐり会うことができましたが、
その先生は、「若いからレーザーで治るだろう」と言われ、
その日はプロック注射をして、「二週間後に来なさい」
と言われて家に婦されました。

レーザー治療? インターネットでレーザー治療のことを調べました。
高温の熱で焼き切る、と記された個所を何度も読み返し、
恐ろしさで一杯になりました。

(高温って麻酔をしてくれるよね。そしたら熱くないよね)
麻酔なんて当たり前なのに、いつも私はおびえてしまうのです。
痛み止めを飲まないと眠れず、苦しみがより増すばかりでした。

また、友達からも手術で失敗した話など聞かされると、
もう目の前が真っ暗です。
私は一ケ月半、ほとんど寝たままずっと泣いてばかりでした。

そんな時、主人に「車椅子になるのかなぁ」と言われたのでした。
私もつい、(そうかぁ、とうとう車椅子になるかも知れないのか・・・)
と思ってしまいました。

病院の先生は口を開けば、
「手術をした方がいいよ、一度考えてはどうかな?」
というし、私はどんどん悪い方向へ
気持ちも体も落ち込んで行くばかり。

手術をすれば本当に治していただけるのでしょうか?
神様、仏様に両手を合わせていのるばかりでした。

月刊自然良能より