右足、腰ににぶい疼痛 坐骨神経痛

手術しても再発するかもしれない

私は昨年の5月より右足、腰ににぶい疼痛を感じ、
日がたつほどに、寝返りもうてない程の激痛に見舞われ、
これはただの一過性の病気ではない、
きっと生死にかかわる悪病にとりつかれてしまったのだと、
あわてて整形外科へと駆け込みました。

レントゲンの結果、
椎間板ヘルニアの初期症状と言われ、完治の見込みはなく、
一生上手に付き合っていくしかない事、
けん引だけしか治療法はない事等の説明のまま、
毎日15分ほどのけん引に通院していました。

しかし次第に痛みは増し、
鎮痛剤なしでは生活ができず、
1日3回の鎮痛剤が4回、5回と、自分勝手に回数を増し、
食欲をなくして、精彩をどんどんなくしました。

7月19日には、いっさい体を動かす事ができなくなり、
痛む右側を上にして横たわり、
側を通られるだけでも痛むため、
家族に当り散らし
「なんで、私だけが、こんなに苦しむのだろう。

こんなに痛い足なら、いっそのこと切断してなくなって
しまったほうがましだ」と、
わが身の不幸ばかりを歎いていました。

とうとう「痛みを取り除くには手術しかない」と宣告され、
その上、手術しても「また再発するかもしれない」とも言われ、
途方にくれてしまいました。

その少し前から、図書館に勤める娘が、
「椎間板ヘルニアは手術なしでも治る」という本があるから、
その本を読んでから決めたほうがいいと言って
渡した本を手にして、徹夜で読みました。

夫は次の日に読み、よく理解する事ができ、
私自身に当てはまるような気がして、
さっそく所在地等を調べ、翌日、診療所へ伺いました。

鎮痛剤を飲み、2階にある診療所へは
階段の手すりを両手で掴み、
まっすぐにロッククライミングのように体を押し上げ、
通路は両壁に手を這わせながら、やっとの思いで着きました。

先生は骨格のあるやさしそうな方で、
堅く緊張している心を溶かすように、
ソフトな声で問診をなさり、前後3メートルほど歩かされ、
痛みのためそれはもう拷問のようでした。

来院した時よりきつい痛みに、
もう明日はこの階段を昇る事はないだろうと
思いながら帰宅しました。

でも、夫に「もう少し続けてみては・・・?」と励まされ、
翌日、雷雨の中、雨カッパを着けて通いました。

先生の御苦労はいかばかりか、カチンカチンに堅く、
かたまった私の体を一生懸命全身で取り組んでいただき、
4日目がすぎた頃から、階段の昇降が少し楽になりました。

次第に夜も眠れ、気がついた時にはいつの間にか、
鎮痛剤の存在すら忘れ、目に見えてドンドンと
快方に向うのが誰の目にもわかるほどになりました。

バラコン運動は朝、晩30回から始め、
現在1日2回、200回を目標として行い、
応用の巻き方をしたりして、
暇を見つけてぱバンドなしでも人目のない所へ行って
運動をつづけています。

でも右足の小指、薬指の周辺の疲れは今だに取れず、
治療に行けない日が続くと会報誌の概当する症状を見つけ、
ゴムバンドで締めて応用しております。

先生はどの患者さん達にも「どうですか」と、
やさしい声かけを必ずなさり、
いつでも励ましやアドバイスをして、
「必ず治ります」と力強い言葉で、
心身共にいやしてくれます。

今はあの日が悪夢のようです、
あの寝たっきりで痛みにのたうちまわっていたのは
いったい誰だったのだろう。

そして今元気に立ち、歩き、笑っているのは
同じ人間だったのだろうか?
先生の手足は、魔法の杖なのでしょうか?

五味会長先生の著書との出合い、
そして先生とのめぐり合いによって今の私があり、
そして幸福な家庭生活が戻ってきました。

先生は当初「しばらくの間、つとめて来て下さい」
とおっしやいました。

夏休みの中の事でもあり、子ども達が寝ている間に、
一番乗りをとがんばりました。

新学期前には平常生活に戻る事ができて、
今は仕事の合い間をできる限り通っていますが、
「最低、週二日はまだ治療が必要です」
とおっしやいます。

先生は「完治しましたら、もういいですヨ」
とおっしやいますが、
私にとっては骨格の大切さがしっかりと身につきましたので、
健康維持の為にも一生の宝と思い、
完治しても予防の為に通院し、
明るい老後をすごしたいと思っています。

こんなに素晴しい治療法の発見に努めていただ
いた五味会長先生、そして全身全霊にて
治して頂きました先生に心より感謝紋します。

私と同じような悩み、苦しみをもつ方々に、
少しでも励みになっていただけたらと、私の体験を書いた次第です。

月刊自然良能より