骨盤調整法で私の人生が救われた
腰痛に再び襲われたのは、37歳の夏、23年ぶりのこと。
スコップでコンクリート練りの手伝いをした時、
また腰にギクリとした感じがあった。
たいしたことはないだろうと思っていたが、
秋になり、そして冬が近くなると足に痛みが出るようになった。
さあ、大変だ。
以前の手術時の痛みが鮮かによみがえってきた。
もう手術だけはしたくない。
あちこちの整形外科へ通い、けん引、薬、注射、
低周波とさんざん治療をしたが、
徐々に前屈、アグラもできない状態になってきた。
そこで整骨院へ行き、腰椎調整操作と電気治療を2度受けたが、
前に手術した人は治せないと言われ、別の整骨院へ。
中国整体術が評判だったが、ここでも断られた。
冬が過ぎ、春になり、あきらめの気持ちと、
体を動かしているうちによくなるだろうという期待もあって、
4月の休日はほとんど山歩きをした。
そうしたら、また不思議なことに足腰の痛みは薄らぎ、
時々アグラが辛いぐらいで、
仕事や日常生活にはたいして不自由を感じなくなっていた。
ここで無理をしなければよかったのだが、
5月の連休の最終日に運命の日がやってきた。
家内の親父さんと山の岩場にぜんまい採りに行った時のことだ。
断崖に近い所でぜんまいの群生をみつけ、
生木を掴み、岩の出っぱりに片足をかけ、
もう一方の足を別の出っぱりにかけようと体をひねった瞬間、
腰がギクツとした。あ・・・痛い、しまったと思った。
そこで山菜採りは中止したが、
採ったぜんまい約五キロをかついで数時間、
休み休み、はうようにして家に帰った。
翌朝、痛みがひどいので会社を欠勤。
その翌日も休んだが、家内にみてもらったところ、
背骨が以前のように曲がっていると言われた。
これは大変だ!思案の末、整骨院に行って整体をしてもらった。
手足の関節をポキポキ、骨盤と背骨を足でバンバン。
施術すること数十分。
右足が1センチ短かったのが同じになったよ、と言われた。
また、腰が大変固い、とも。
これで痛みがだいぶ軽くなり、体がまっすぐになったような気がした。
ところが翌朝、ベッドから起きて、足を床につけた途端、
左の腰から左足全体にかけて火柱が走るような痛み。
しかし会社へ行かなければならないと思い5~10分
足踏みしているうちに、痛みが薄らいだ。
どうにか会社に行けたが、腰が痛く辛い一日だった。
その翌日も、また起きがけに激痛。
この日も出社したが、明くる日、ついにダウン。
その翌日、激痛が薄れたので県立病院へ。
前よりだいぶ悪くなってますね、と先生。
目に涙が浮かぶほど痛い注射を腰に打たれたところ、
ビリビリ卑れてきて下半身が完全に麻卑状態になった。
1週間安静にしたのちに診察に来なさいと言われたものの、
激痛は相変わらず。
手術の二文字が重くのしかかってきた私は、大学病院へ行った。
特殊診察室で検査を受けたが、
「腰椎五番の椎間板がヘルニアを起こしている」
ここまで通院するのは大変だから
前の県立病院へ入院しなさいと指示された。
結局、県立病院にUターンして
足に重りを下げられ、けん引治療。
入院5日後にブロック注射2本目。
やや折り曲げられた固いベッド。
体がカチンカチンになってくるのがわかった。
こんな調子では、また手術されてしまう。
夜、白い天井を眺めながら、悶々と眠れない日が続いた。
「3週間治療しても治らなかったら手術ですよ」
入院直後の医師の言葉が頭から離れない。
入院して5日目。「そろそろ造影剤を入れて検査してみますからね・・・」
最近のは水溶性で害はない、と言うが、
造影剤と聞いただけで身ぶるい。
22年前に手術した時の強烈な痛みが蘇る。
それに、近くの病室では、腰の手術後の患者が
痛い痛いといって看護婦を呼んでは、
ついに面会謝絶になっているではないか。
ひょっとしたら、自分は車椅子になるかもしれない。
そんな想いが頭に浮かんだ。
入院して1週間。腰の激痛はとれたが、
左足が痛く、5分と座ってはいられない。
しかし、私は決断した。「先生、もう治りましたよ」
私は、医者の前でスタスタ歩いてみせた。
こうして、とにかく手術を避けるために私は退院した。
この病院での診断は椎開板ヘルニアであった。
月刊自然良能より