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長崎市筑後町3-22-803

① 車椅子の可能性もと言われた重度の腰痛

ピアノを弾く姿勢が右に傾いていた

三歳の頃からピアノの練習をはじめた。
ある時、ピアノを弾いている時の姿勢が右に傾いている」と、
先生に注意された。

姿勢が悪いと、正しい弾き方ができないからである。
その後も時々注意されたが、姿勢は治らず先生もあきらめたようだった。

中学校の頃まで、腰が悪いという自覚はなく、健康だと思っていた。
中学二年の終りの頃、長時間ピアノを弾いていると、
右肩に痛みを感じるようになった。

三年になると痛みはひどくなり、腕にまで進行してきた。
病院にかかったところ、腱鞘炎と診断された。
薬、温湿布など一通りの治療を受けたが治らない。
治るどころか、徐々にひどくなっていった。

「普通は痛みは左に来るのに、右に出るのは不思議」と、
ピアノの先生は言っていた。

将来はピアノで身を立てようと考えていたである。
高校三年の半ばを過ぎると、音大を受験する準備を始めなければならない。
音大入学は長年の夢だ。

肩が痛いくらいで怠けてはいられないと、
ピアノの実習はその後も長時間行なっていた。

十八歳の三月、努力の甲斐があって、音大受験に合格した。
入学して登校するようになったが、同時に今度は腰痛が出た。

学校は自宅から遠方で、電車を乗り継いで行く。
駅の階段の昇り降りの数も多い。

楽器があるので、通学の荷物は重い。
それやこれやが原因で過労になり、腰痛が出たのだと思った。

特につらいのが駅の階段の昇り降りであった。
しかも、つらさは徐々に増していく。
腰の痛みと並行して、ピアノを弾く時に指に力が入らなくなった。

声にも力が入らなくなった。
声楽で発声の時、腰に力が入らない。
声が満足に出ない状態になってしまった。
 
学科の授業も順に入りにくくなってきた。
夜は眠れない。眠ってもトロトロして眠りは浅く夢を見る。

学校があるから朝はふつうに起きるが頭が重い。
食欲は、まったくない。
だが、食べなければ体がもたないからと、無理に流し込む。

どうしようもないそんな毎日が続いていたが、
将来はピアニストにと三歳の時からひと筋に頑張ってきたのだ。
こんなことくらいでと心に鞭打つ。

月刊自然良能より