② 万病一元 血液循環不全にあり

自分の腰痛がきっかけで骨盤調整法を考え出した。

病院でも、歴史のある漢方でも治らない。
ありとあらゆる民間療法を試みたが、
よくならなかった。

そこで人間では駄目だと神仏に願かけたが、
それでも治らない。

私の体は、何をやっても治らないのだと諦めているのだが、
いい治療法があると聞くと飛んでいく。
四六時中悩まされる病苦は、それほど切実なのだ。

そうした人たちのうち、骨盤調整法で
症状が軽快する人が数多くいる。
神仏でも治せなかった病気を治してくれたと、
感謝してくれる人は多い。

そうすると必ず天狗になる。

そんな時、難症患者が来た。
治療をするが効果は表れない。
まれには、より悪くすることもある。

老衰している患者や、長年、薬を飲みつづけている患者は、
骨が脆くなっている。
気をつけていても、患者が抵抗した力の反動で
ポキンと折れてしまうことがある。

そんな時は天狗の鼻っ柱も折れてしまう。
治すために治療したのだから責任は持つ。
完治するまで病院に入れるし、慰謝料も払ったが、
当然のことと思っている。

だが、それではすまない。

何より尊い人の生命と対決している仕事だ。
自惚れていなかったろうか。
治療技術や治療精神が未熟ではなかったろうか、
ずさんではなかったか? 
と反省することしきりである。

しかし、喉元過ぎれば熱さ忘れる・・・という
故事ことわざがあるように、
衝撃も時の流れとともに薄れてゆく。

その後、10年間に大きな間違いだ2回あった。
そのつど深く反省をした。
壊しては大変だからと、甘くやっていれば心配はないが、
それでは病気を治せない。

目いっぱい治療して体は壊さない。
それには治療技術こそ大切だと、
寝食を忘れて技術を研究し腕を磨いた。

その成果があがるにつれて、
治せる病気の範囲も広がっていった。

だが、もう一つ納得できないことがあった。

考え悩んだすえ・・・!
治療師が患者の病気を治そうと
一所懸命治療をするのは常識だが、
ここに何か間違いがあるのではないか?と気づいた。

前に述べな2回の失敗例も、
なんにしても治そうと思ったことから出発していた。

ご具理々とは、百発百中、千発千中、万発万中、
外れないことをいう。

治療もまた。真理でなければならないのだ。
治療を受けたところ、より悪くなった
そんな患者がひとりでもいるとしたら、
その治療法は真理ではない。

そう考えると、私の治療法は真理とはほど違いものだと、
つくづく知らされた。

何業によらず、自分の仕事の真理を
追求するのは当然のことだ。
まして、人の生命と対決する治療師にとって、
なおさらである。

私がこんなむずかしいことを考えるのも、
実は27歳の時、人生の真理を追求して、
ニケ岳で2年間苦しんだ経験があるからだ。

その問題を解決した私は、30歳の時に下山した。
物事に対して、とことん体当りで考える。
治療の世界へ入っても真理を追求する、
そういう性格を持っていたのだ。

月刊自然良能より