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長崎市筑後町3-22-803

① 座骨神経痛 立っていても寝ていても痛い

苦しい体験を通じて根本治療の真髄にふれた
坐骨神経痛に襲われて

必死で看病してくれた家内への感謝と、
治してくださった先生への感謝のしるしに残す。

これが、今苦しんでいる人への励ましになれば幸いに思う。

治ってみると、どんなに苦しかったか、
症状の細かいことを忘れそうになる。
病気の時と今はまるで別世界なのだ。
これは、一大事。
あの苦しみをしておこうと思った。

専門の学会に出張していた。
テニス狂いの私はホテルでちょっと手持ちぶさただった。

もっと体を柔らかくしなければと思って、
弾みをつけて立ったままの上体前屈を試みた。
そのときである。背中の腰のあたりがチクっとした。

今回の坐骨神経痛の直接のきっかけは、
異常な寒さに体をさらしたためか、
反動付き前屈のためだったのかずっと考えていた。

テニスでラケットを振り下ろして、サーブを終える瞬間、
体の外側になにか短い線があって、
それが突っ張る感じがする。

その線が特に右のお尻の辺りで突っ張っていて、
そいつさえ伸びてくれたら、
サーブも気持ちよくできるのにと思っていた。

3週間はこんな症状だった。
その後、そんな気楽なことは言っていられなくなる。
段々悪くなり、右足が常に冷えるようになった。
レッグウオーマーなしでは、過ごせなくなった。

この症状は、10年前に引き起こした坐骨神経痛と同じであった。
もともと暑がりなのに、5月というのに、
とにかく足の甲から脛(すね)太ももが冷えていたたまれない。

冷え感はさらに悪化の一途を辿り、
もも引き一枚では、まだ冷える。
二枚重ねてズボンをはいてもまだ冷える。

そこで、学生時代に買った吹雪のスキー時に
ズボンの上に履いたオーバーズボンを研究室で履いた。

その後、なりふりかまわず、電車の中でも履きだした。
時には逆に、オーバーズボンを普通のズボンの下に履いたりしたものだ。

もうこれ以上、履くものがない。
じっと立っているのがつらい。
右のお尻の中がうずいて、じっとしていられない。
ある記念の立食パーティの間、ご挨拶の時でも、
私は落ち着きのない人だった。

前回、最初の坐骨神経痛の時にマッサージに行ったら、
ついでに鍼をされて、
足がぽかぽかしてきたのを覚えている。

足に血が巡ってくると痛みもとれてくる。
血行不良が痛みのそもそもの原因であり、
結果なのだとあのとき知った。

それで、今回も5月1日から週1回の割りで鍼に通ってみた。
鍼の先生は、とにかく運動をして血行を良くしなさいという。
できる運動といえば、自転車に乗ることだった

私は不思議と自転車には乗れる。
どうやら、股関節で体の荷重を受けないですむからだと思う。

娘を自転車の後ろに乗せてずいぶん遠いところまで出かけたものだ。
町の公園に滑り台があって、スロープやローラーになっているのがあった。

10メートルほどのお尻の下でごろごろするのが、
うずくお尻の筋肉をマッサージするので心地よかった。

娘は喜んでいたが、娘の笑顔も逆に思えて、
なんだか悲しくなるような娘との付き合いだった。

娘との自転車乗り、ローラーの滑り台、今思い出すだけでも
ペーソスを催し涙がこみあげてくる。
毎日の早帰り、日曜のたびに一緒に出かけてくれる、
急に増えた父親の家庭サービスに無邪気に喜んでくれた
末娘には悲哀の念がぬぐいきれない。

しかし鍼ではいっこうに治らず、
10年前のときとは違うものを感じた。

坐骨神経痛は物の本によると
ガンや内臓疾患が主因のこともあるという。
なんだか怖くなってきた。5月の末に整形外科に行く。
レントゲンでは異常不明。

薄ら寒いレントゲンのベットで撮影のため、
あちこちに向くようにいわれたときは拷問のようにきつかった。
これによっても、悪化したのではないかと思えたほどだ。

月刊自然良能より